「白ゆき」

自作CoCシナリオ「拝啓、一夏いつか。」の立川たちかわ一夏いつか海住かいずみ春花はるかのはなし。
白ゆきのやつ。
課題で書いた奴。


 

 

 美しさというのは、とても暴力的な概念だ。
 たとえ、僕らがどれだけそれに抗おうと、それらは僕らの人生を決定的に変えてしまう。
 美しさは人に感動を与え、感動は人の価値観を変える。そして、価値観が変われば生き方すらも、知らず知らずのうちに変わっていく。

 三月のある日、僕の人生の一切が変わった。
 人とまともに会話ができるようになった。
 食べ物の味がきちんと分かるようになった。
 ――いままでの、泥のようなそれとは全く違う、洗いたての瑞々しい朝が来るようになった。

 ……きっかけは、取るに足らない。
 あの河川敷のベンチで、君と出会ったこと。

 大学の合格発表の帰り道だった。僕は、川から少し離れた桜並木の下を、自転車を押しながら歩いていた。受験の結果は合格で、親戚にも報告のメールを送って、それなのに、特にこれといった喜びもなく、ただ青い空を見ていた。桜の花がちらちら散った。川の水の匂いが鼻腔をくすぐる。
 けれど、ただ、どれもこれもどうでもいい。昔からそうだ。いつも、自分が自分の、少し遠くにいるような気がしている。感覚にも、感情にも、うまくピントが合わず、世界の全部がぼやけて霞む。

 僕は、足を止めた。家に帰るなら、ここで川を離れ右に曲がればいい。
 なんとなく深呼吸をして、昼食のメニューに思いを馳せる。……どうせ感覚が鈍って味もきちんとわからないから、何を食べてもさほど変わらないのだが。
 そんなことを思いつつ、僕はふっと川へ視線を移す。

 ……それが、その一瞬が、全てのはじまりだった。

 河川敷の遊歩道には、一定の間隔をあけて二人がけのベンチが並んでいる。
 その中の、丁度僕が視線を向けた先にあるひとつに、誰かが座っていた。ベンチは川の方を向いているので、僕に見えたのは彼女の後ろ姿だ。
 初めは、年配の女性だと思った。肩につくかどうかといった長さをした彼女の髪は――彼女と僕の間に並ぶ、桜のような白色をしていたから。
 けれど、それにしては服装が若々しすぎる。
 シンプルなフリルのついた、オフショルダーのワンピース。胸元から袖にかけてはアイボリー。そこから下は優しい藍色。それぞれ、近似色の糸で淡く花のような模様が刺繍された、綺麗な生地で仕立てられている。
 僕は、自転車を道の脇へ止め、そのまま河川敷へ降りた。なんとなく彼女のことが気になったのだ。

 ゆっくりと川の方へ進む。ベンチへ近づき、そのまま少し先まで通り越す。
 そして、しばらくの間なんの面白みもない川を眺めたあと、不自然にならないよう心がけつつ、ベンチのある方へ振り返った。

 綺麗なひとだった。
 彼女は、糸の切れた人形のように、はたまた、高名な画家の描いた絵の中の誰かのように、座ったまま目を伏せじっとしていた。
 眠っているのだと、本能的に理解する。
「…………」
 一歩、彼女の方へ進む。一陣の風が、彼女の柔い髪を巻き上げる。辺りの桜が、めいっぱい花弁を散らす。舞い上がるはなびら。揺れる白い髪。やがて、彼女はゆっくりと瞼をあげる。
 彼女の髪が陽の光に白くひらめくはなびらだとするならば、その瞳は川へ落ち、しっとりと濡れた花弁の鮮やかな桜色だった。
 その色が僕を映す。どうしようもなく息苦しいが、呼吸のしかたが思い出せない。幻、白昼夢の類か。その一瞬は今までの人生よりずっと長く鮮明だった。
 ――そして、その後君は、軽やかに笑って僕に話しかけたんだ。
 なんてことない、当たり前のことみたいに。

 

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2022年10月20日