邂逅。
――危ないですよ。そんなところに座るなんて。
声が聞こえた。
思わず目を開けて、高さと濁流に性懲りもなく怯んでしまう。
気付けば右の掌はまた冷たい鉄骨に触れ、わたしの体重を支えていた。
「あれ、聞こえませんでした?」
混乱するわたしをよそに、声の主は背後からまた言葉を発する。
何も言えないまま半身で振り返ると、そこには男が一人、ぽつんと立っていた。
「いつのまに……」
思わず思ったままを口にするわたしへ、男は平然と、
「いまさっきです」
と微笑んでみせた。
「いまさっき……」
わたしは、半ば呆然と男を眺める。
曇り空の下で鈍く輝く金色の髪とキャラメル色の瞳。
陶磁の様に白く滑らかな肌。整った顔立ち。
汚れひとつない真っ白な、神父服――
一見、ものすごくマトモそうに見えるけれど……服装が致命的におかしい。
加えて言うなら、今日は、朝からずっと雨が降っていた筈なのに、彼はわたしと同じく全身ずぶ濡れだった。
雨具という概念を知らない訳でもあるまいし。
――何も言わないままただ自分を凝視するわたしへ、男は何も言わなかった。
ただへらへらと笑い、わたしの視線を受け止めている。
いっそのこと無視して飛び降りてやろうとも思った。
けれど、全く知らない人の目の前で突然死ぬだなんて、それもなんとなく気が引けて。
わたしは、橋に立つ男の方を正面に――川に背を向ける形へ座り直しながら、努めて攻撃的な声色で問いを発した。
「誰。」
「貴女こそどうしたんですか? こんな雨の中、子供一人で」
「質問を質問で返さないで。」
圧をかけるためきっぱりと口にしたつもりだったのに、声は面白いほど震えていた。
男はひるむ様子もなく、緩く微笑み続けている。
「……あんた、誰?」
喉奥から呻くような声。わたしは、たぶん怯えていた。
男は、微笑みを困ったような苦笑いに変える。
「これじゃ、まるで私が追い詰めてるみたいですね」
安心させるように姿勢を落とし、わたしと同じ目線の高さで、改めて目を合わせ。
子供扱いされているようで、なんだかすわりが悪い。
「怪しいものじゃありません。ただの、通りすがりの聖職者です」
「嘘。」
「人聞きが悪いですね。ほんとですよ」
「……まず、聖職者って言うのが嘘。」
「そんな! この祭服が見えないんですか?」
「コスプレでしょ」
「何の目的があってこんなところで聖職者のコスプレを?」
「……」
そう言われると言い返しようがない。
「……じゃあ、通りすがりっていうのは」
「言葉通りの意味です」
「こんな雨の日に、こんなところをどうして通りすがったりするの」
「んー……」
男は口許に手を当て少し考えるそぶりを見せた後、
「あ。」
と声を上げぽんと手を打った。
「山菜採り、ですかね……?」
「……は?」
改めて男を眺める。
どう見ても手ぶらだ。服装や天候を鑑みても、とても山菜を採りに行く途中とは思えない。
「ね? おかしなところなんてないじゃありませんか」
そう言って、男はへらりと笑う。
いや。どう考えてもおかしなところしかないんですけど。
「……あんた、ふざけてるでしょ」
「かもしれません。」
男はそう言ってくつくつと笑う。なんも面白くないし。
会話じゃ埒が明かないので、わたしは黙って眼前の男を睨みつける作戦に移行する。
「……」
何、その顔。
少なくとも、わたしは睨みつけてるつもりなんですけど。
ねぇ。
……鏡がないから、実際どんな顔してるかは分かんないけど。
「……」
「……」
沈黙の数秒。
突然の乱入者に忘れかけていた雨音が、意識の枠のなかへと戻って来る。
ふたりしてじっと雨に打たれるのは、なんだかかなり馬鹿馬鹿しくて。
「………………」
「………………。」
耐えきれなくなって視線を逸らし、ローファーが脱げたつま先を眺める。
鉄骨から手を離し、また膝の上で手を組んだ。
こうしていると、少し安心するから。
「……すみません。少し意地が悪かったですね」
宥める様な声色で、男が言った。
続けて、ふっと緩い笑い声。
「大丈夫ですよ。私は責めるとか、止めるとか、そういうつもりで話しかけたんじゃありませんから」
「…………じゃあ、何。」
ここでこうしている時点で……姿を見られた時点で、わたしがおかしいことはわかるはずだ。
こんなところに、こんな格好で子供一人。欄干に腰掛けて、川底を見つめて。
止めるか、そうでなきゃ、何か邪な目的でもあるのか。
……後者だとして、最終的に死ぬことさえできるなら抵抗する必要もないんだけど。
「――私は、」
声に視線を上げると同時に、ひとつ、風が吹いた。
「 」
強く、正面から風に扇られて。
わたしの体はぐらりと傾き、そのままバランスを失って、後ろへと。
ぐっと全身がこわばる。咄嗟に身体が橋へ戻る様重心をずらそうとするけれど、間に合わない。
「――――!!」
男がこちらへ手を伸ばすのを、視野の端に捉える。
けれども、それが見えるのも本当に一瞬だけ。
気付けば、視界いっぱいに映る曇天。
それも目に流れ込んだ雨粒でぼやけて見えなくなって。
やっと終わると思った。
やっと終わると思ったんだ。
だから、/だけど、
わたしは、咄嗟に手を
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