8/17(土) 山中の橋の欄干にて。
――ひとり、息をしていた。
心臓が、強く鳴っていた。
山の中腹を走る道路の最中にかけられた、大きな橋。
その欄干に腰掛け、バケツを逆さまにしたような土砂降りの雨を全身に受けながら、わたしはまだ、生きていた。
真夏の雨はぬるく、空気は湿って、川や山の匂いも相まって生臭い。
雨水を吸った制服はずっしりと重く、麓から歩いて来たので脚は棒の様だった。
下を見れば、擦り切れてボロボロになったローファー越し、ずっと下の方に、茶色く濁った濁流が見えた。
眼下にて倒木が流されていく。
何とはなしに、そのまま左脚を強く振ってみる。
かぽんと脱げたローファーは、絶え間なく降り注ぐ水と共に宙を切って落下し、数秒の後川に飲み込まれ流されていく。
――それじゃ、次はわたしの番だ。
心の中で呟いて、わたしはそっと瞼を下ろす。
視界が黒く塗りつぶされると同時に、その他の感覚がより鮮明になっていく。
水が地面を叩く音。
その雨音を掻き消さんばかりに響く、川の流れる怖い音。
遠くに聞こえる、輪郭の滲んだ避難指示の放送。
それと、わたしが息をする音。
心臓の音。生きている音。
きん、と鳴る、耳鳴り。
欄干と鉄骨の冷たさを、太腿と右掌に強く感じる。
降り注ぐ水滴が全身を滑り落ちるのを意識で追いかけて、やめる。
張り詰めていた呼吸と鼓動を、少しずつゆるめていく。
吸って、吐いて。
柱から手を離し、膝の上で祈る様に手を組んだ。
自然と身体を支えるものがなくなり、また心臓の底がざわめく。
吸って、吐いて。
思い残すことは何もない。残してきたものも、何もない。
ごめんなさい。
もっと早くこうしなきゃいけなかったのに。
吸って、吐いて。
改めて、右手と左手が解けないように。
わたしはわたしと、痛いくらい強く、固く、手を繋いだ。
わたしを此処に留めるものは、もう何もない。
どれだけ苦しくてもたかが数分の話だ。
だから、今飛ぼう。
最後に、長く、長く息を吸って。止めて。
重心を、前に傾けた。
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