遍く総てが幸せで在ります様。

TRPG、SW2.0「マナリア学園CP」より。
うちのこ。


 

 

 それは、初めての感覚だった。
 悲しい? 確かに、私は悲しいけれど、悲しいなんて気持ちが初めてなわけがない。
 鑑みるに、いつもとあきらかに違うのは胸の奥の燻りくらいだ。とはいえそんな理由が見当たらなくて、そのくせ、頭はうまく回ってくれない。

 頬を流れていく涙が熱い。零れる言葉はどうやら頭を通っていかなかったようで、自分でも自分の言葉に少し驚いていた。私はなんて我儘なのだろう。勝手に聞いて勝手に寄って勝手に泣いて悲しんで、挙句の果てに「私がいる」とは笑い話もいいところだ。
 ……反面、その言葉のおかげでわかったこともあった。
 たぶん私は悔しいのだろう。起こってしまったことに対しては何も出来ない。つまり、私は彼の悲しみを消すことは出来なくて、それが本当に、悔しいのだ。悔し紛れで出てきたのがどうやら『この先を約束する』言葉だったようで、案の定手は振り払われてしまったけれど、私の気持ちが変わらないかぎり歩んだ先に彼はいる。そしてその先にカレがいるなら、やっぱり私のすることは何も変わらないのだと思う。

 涙を拭い、走りながら考える。進まなきゃ。どこまでも、どこまでも。焦る必要はない。焦って余裕を無くしたらそれこそ優しくなくなってしまうから。ならどうすればいいのかと言われると、やはりいつも通り過ごすしかないのだけれど。
 夢中で走ってたどり着いたのは旧校舎の秘密基地で、天窓の真下にぱたりと倒れれば視界に飛び込むのは満天の星空だ。すっと目を閉じて深呼吸したあと、目を閉じたまま思考に耽る。

 昔から、ふとした時に涙が止まらなくなることがあった。
 例えば、いつも窓辺でさえずりを聞かせてくれた小鳥が死んでしまっているのを見つけた時。
 例えば、お気に入りのティーカップを落として割ってしまった時。
 例えば、春が終わって、一斉に花が散る時。
 例えば、この世にあるものすべてがいつかは壊れてしまうのだと気づいた時。
 そういう時、気づけば私は泣いていて、「ああ、私は今悲しいのか」と思った頃にはもう、頬を滑る涙は止まらなくなっている。

 冬に草花が枯れては泣き、父母が怪我だらけで帰宅すれば泣き、肉も野菜も生きているなら殺してまで食べたくないと泣き、冬に渡り鳥が一匹取り残されているのを見つけて泣き、蛮族を殺すのはやめてほしいと泣き。

 要するに、私は我儘なのだ。
 この世の当たり前にいやいやと首を振り続けながら、相手の気持ちも考えずただ自分が悲しいことを理由に泣くのだから。
 誰かの涙が嫌で、どこかで誰かが悲しい思いをするのが嫌で、傷つけあうなんて寂しいことはして欲しくなくて、どんな些細なものでもこの世から消えてしまうのは耐えがたくて。
 そんな我儘な私に、「この世はうつろうもの。それでも、何かの痛みが、きっとそのまま君の悲しみになってしまうんだね」と、優しく笑って頭を撫でた父の手を今も覚えている。
「とはいえ、君が思うままに生きれば、いつか君は君自身を殺してしまうだろう」
 私が泣き腫らした目をそらすと、父は困ったように笑って私と向き合った。
「でも、僕は君に死んで欲しくない。君が死んでしまったら、僕は本当に悲しいし、もしかしたら苦痛に耐えきれず死んでしまうかもしれない。つまり、君が死ぬことは僕を殺すことと同義だ。わかるかい? 他者を守るために自分を害すか、自分が生きるために他者を害すか、いつか君は選ばなくちゃいけない。でも、君が君自身を害せば僕は僕自身を殺すだろう。……それじゃ本末転倒だ」
 自分でも何言ってるかわからなくなってきた――そう言って頬をかいた父の言葉が、どこまでも私の考えを否定しなかったのが嬉しくて、たしかその時私は、泣きながら笑って後者を選ぶことが出来たのだ。

「きっと君はずっと痛いまま生きていくことになるけれど――それでも、僕は我儘だから、ごめん」
 父は頬に残った私の涙を拭って、
「泣かないで、アナスタシア」
 と、泣きそうな笑顔を浮かべ言った。

 ――願いは呪いによく似ている、というのもまた父の言葉だ。きっと僕は君に呪いをかけているんだよ、と、父はよく言った。でも、私は父の願いが好きだった。父の願いは、……呪いは、私の理想を否定するどころか、いつも背中を押してくれたから。
 だから、「生きてほしい」という願いも「泣かないでほしい」という願いも、すとんと私の腑に落ちた。
 そうあろう。そうしよう。ひりひりとした痛みは、どうやっても胸の奥底をどいてはくれないけれど。
 少しずつ、涙を飲み込めるようになろう。私が誰かの痛みに悲しむように、私の痛みもきっと誰かを悲しませてしまうから。
 涙を流し立ち止まるより、笑顔で世界を変えにいくほうがきっとみんな幸せになれるから。

 今回も、変わらない。泣くのはこれっきりにして、進まなくちゃいけない。全員で幸せになれる方へ。

 将来の夢はまだない。何になりたいかはわからない。たくさんのことを知って、色々なものに触れて、私の答えを手に入れたい。少しでも悲しみを理解し減らしたい。少しでも幸せを見守り増やしたい。立ち止まって後ろ向きに泣くなんて、それこそ本当に疲れた時一人でこっそりやればいいことだから。

 目を開き、立ち上がる。帰らないとみんな心配してしまうから。歩かないとどこへも行けないから。

 いつかあなたに届くように――届くなんて言葉じゃ足りない。いつかあなたのもとへ私が辿り着けるよう。
 思いだけを抱き、歩き続けよう。

 どこまでも。

 

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2022年10月20日