自創作キャラ言葉めぐりと言葉悟のはなし。
……今となっては昔の話だが。
幼少期、俺は臆病な子供だった。そして、「能力」のせいで周りの考えていることが全部わかってしまうから、心底人が怖かった。アニメを見てもドラマを見ても演者の心境が物語を受け取る邪魔になったし、バライティーなんて見た日には水面下で飛び交う感情が気持ち悪くて2日3日寝込んでしまう程に。
当時の俺は言うまでもなく「能力」の制御なんてできちゃいなかった。だからこそ、喋らない物が好きだった。声さえ聞えなければ、心が見えてしまうことも無い。
とはいえ、喋らない娯楽は山ほどあれど、喋らない人間なんていうのはなかなかいない。俺自身、身内にそういう存在がいなければ、今の今まで見つけられなかったんじゃないかと思う。
――俺には同い年の従妹がいる。
そいつは『口にしたことが現実になる』なんていう厄介な「能力」を持っていたので、迂闊に言葉を発さないよう口を布で塞がれて過ごしていた。
声を聞くまでは、声を聞くまでなら、事実を介さない感情で信じていられる。子供らしい純粋な怒りも、絶大な悲しみも少なからずぶつけられずに済む。
俺は心が見えないほぼ唯一の存在である従妹を拠り所にした。
従妹は従妹で身内以外と遊ばせて貰えなかったようで、親戚一同の中で唯一同年代だった俺にそれなりに好意を持ってくれているように思えた。
少しずつ、時間は進んでいく。
じわじわと、世界は変わっていく。
たぶん、俺はいつだって狭くて甘くて生ぬるかったあの日こそを理想としていて、けれどもそれは俺以外にとって、少なからずそうではなかったと言うだけの話。
小学校入学前、従妹が自分の口を塞いでいた(本人曰く忌々しい)布を外してもいいことになった。
なって始めて、怖くなった。
今まで6年余りの間彼女と過ごしたけれど、俺はまだ信じることが出来なかった。『本心ではぼくのことを疎ましがっているんじゃないか』という疑念をうまく晴らせなかった。
だから、必死の思いで逃げだした。うちに顔を見せに来るという、布のなくなった従妹と会わずに済むように。
そんなことをしたって時間稼ぎにしかならないことはわかっているのにも関わらず、だ。
……当時、俺は人混みが大の苦手だった。それはもう、学校に通うのが困難なのではないかと疑われるくらい苦手だった。俺の「能力」の発動条件は「相手の声が聞こえていること」と「目を開いていること」だ。今でこそ出力調整が出来るようになったが、当時はまともに目を開けて人混みの中を歩けば、喋りながら道をゆく人全員の心が見えてしまう状態だった。
目に入る情報量と他人の心への恐怖でどうにかなりそうで、でも今は、それより従妹の方が怖かった。
人の多い駅前の横断歩道を下を向いて駆け抜けて、できるだけ静かな場所を探し歩く。怖かった。あっちもこっちも、どこに行っても怖かった。同年代の子供たちも、児童保育施設の先生も、親戚も、両親も、みんな怖かった。当時の記憶を全力で思い出せば少なからず優しいひとときもあったはずなのだが、布がある従妹との思い出以外うまく思い出せないから、そういうことなのだろう。
下を向いたままの俺は、何度か人にぶつかった。ぶつかったことが申し訳なくて、怖くて、引き攣ったのどで必死にごめんなさいを繰り返し歩いていた。どこに行けばいいのか、もう分からなかった。
日が傾きかけた頃には、もう自分で自分がどこにいるのか分からなくなっていた。完全に迷子。でも、もうどうでもよくて、ふらふらとたどり着いた公園の怪獣の滑り台の下(ドーム状の滑り台の下がトンネルになっているタイプの怪獣だった)で、耳を塞いで目を閉じて座り込んで泣いていた。
春前だったから、多分まだ少し寒かったはずだ。一人で寂しくて色々なことが怖くて、どうしようも無い気持ちだったのはよく覚えている。ふと耳を塞いだ手を緩めると、遠くから、近くから、色々な声が聞こえてダメだった。
帰るには駅前の通りを通らなければいけない。あそこは人が多いから、疲れ果てた自分では一人じゃ家に帰れそうもない。
何より、ずっと心の拠り所だった従妹が変わってしまうことが心底悲しかった。
途方に暮れていた。
目を閉じ真っ暗で、耳を塞ぎ何も聞こえない世界で、一人途方に暮れて泣いていた。
どのくらいそうしていただろう。
「悟!」
手のひら越しにほんの少しだけ届いた、聞き慣れない癖にどこか懐かしい声。
「…………?」
一体誰が――そう思うと同時に、手首をむんずと掴まれ、両手を乱暴に耳から離される。あまりに突然過ぎて、思わず顔を上げ、目を開いてしまい気づく。
目の前には、あんなにも会いたくなかった従妹が、いつものようにあっけらかんとこちらを見ていた。
従妹はぱっと目を見開く。俺の顔があまりにも涙と、その他もろもろでぐちゃぐちゃだったから単純にびっくりしたんだろう。普通ならハンカチやティッシュを取り出すだとか、理由を聞くだとかそういう行動が挟まるだろうが、生憎俺の従妹様はそういう「普通」を持ち合わせていない。
底抜けのアホは、いつだって迷いなく口を開く。
「――今から言葉神社に帰るまで、悟には私の声しか聞こえない」
トンネルの出口を背に、どうしようもなく不器用で猪突猛進な俺の従妹はまっすぐに言葉を紡いだ。そいつの緑色の瞳と、背後の夕日がきらきらときらめく。
言葉は水のように透明で、思いは願いより克明だ。言葉めぐりが放つ言霊はまるで感情と意志の集合体だった。
綺麗な言霊だなと、ぼんやり思う。「ほら行くよ」と手をひかれるがまま歩き出す。帰り道、俺は従妹と会話しながら、その実相手の心ばかりを眺めていた。
「ハンカチとか持ってないの」
「もってる」
「拭けば? 顔」
「うん」
「転んだりとかしてない?」
「うん」
「痛いところある?」
「……もう平気」
「よかった。でも、なんかあったら言ってね」
「…………うん」
二人、とぼとぼと歩く。道を歩いても、大通りに足を踏み入れても、本当に従妹の声しか聞こえなかった。
「すごいなぁ」と呟けば、「でしょ」と返ってくる。褒められて嬉しかったのか、透けて見える従妹の心が、心做しかきらきらと光った。これが見えるのが自分だけだと思うとなんだか嬉しくて、
――こんなに綺麗なものが見れるなら、自分の「能力」もそう悪くないと、ぼんやり思った。
俺と従妹の関係の、本当の意味での始まりはここだ。
この後アホが唯我独尊したり、お人好しすぎて孤立したり、組織職員と接触して本格的に走り始めやがったりと色々あるようだが、それはまた別の話。
でもって、敢えてこの話に注釈をつけるのであれば……これが、どうやら俺の初恋の思い出というやつらしい。なんていう一文だろう。
とっくに諦めた懐かしい初恋の、なんてことないような始まりの話。
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