正史1月(たぶん本編後)。図地藤華が言葉めぐりと言葉神社で正月をする。
年末年始。大多数の人間が日常のルーチンから解放され、なにかと浮つくこの季節。
非共鳴者が飲酒やその他諸々で小さな問題を起こしがちなのと同じように、共鳴者もまた、お祝いムードで羽目を外しすぎ、特異事象を発生させてしまうことは少なくない。
そんな浮かれ共鳴者共へ漏れなく対応すべく、執行課、対策課、秘匿課、三者総力を挙げて”小火”を”小火”の範囲になんとか納めるのが、この時期の特務庁の慣例だ。
そして、このような環境において、「小さな物事であればどうとでもできる」めぐりさんが重宝されない筈もなく。
29日から31日の3日間、僕とめぐりさん、2人で執行課へ協力するよう司令が下ったのが12月の頭頃。
『転送』で全国各地の現場へ急行し、”小火”を消してはまた次へ。覚悟はしていたけど、3日間ほぼ休みなしで稼働し続けるのは中々ハードだった。
事前の予想では、酷使されるのはあくまでめぐりさんの『言霊』であって、僕の負担はあまり無いのではと考えていたのだが、実際のところ、犯人を追って走るだとかめぐりさんのMP管理だとか、ワードチョイスをミスって倒れためぐりさんを背負って移動するだとかで、僕側の体力もかなり限界の3日間と相成ってしまった。
まあ、全部なんとかできたからこそ、こうして年が明けた今、余暇を満喫出来ている訳なんだけど。
「やっと、おち、つい、たぁー……」
「怒涛の年越しだったね……」
時は元旦の午後。
言葉神社の授与所内にて、巫女服姿で伸びをするめぐりさんを横目に参詣者を眺める。
境内の混み具合は、元日の神社にしては閑散としているし、言葉神社にしてはものすごく人がいる、といった具合だ。
里宮まで石段を登る人もまあ居るみたいだけど、運動不足の現代人には些かしんどい段数なので時折上の方から呻き声が聞こえてくる。
普段は人が来た時にしか開けない受付台の窓も、元日の今日ばかりは常時開け放たれており、外気が室内に入り込んでかなり冷える。
とはいえ、足元に置かれた灯油ストーブが暖かいので、耐えられないほどではなかった。
力を使い果たし気を失っためぐりさんを背負って、僕の自宅へ転がり込んだのが午前3時。
2人揃って玄関でくたばっていたところ、明朝設定されためぐりさんのアラームで目を覚ましたのが朝5時半。
「初詣に訪れた人々の対応を手伝わなくては」とよろよろ起き上がっためぐりさんを、車で言葉神社まで送り届けたのが6時頃。
それで変に目が覚めてしまい、どうせ予定もなかったのでそのまま神社の手伝いを始め……つばささん曰く、「藤華さんは疲れたら帰って大丈夫よ」とのことだったが、そもそもここ3日の激務に比べれば天国レベルの暇さなのと、つばささんや言葉も含め交代で仕事を回す関係、なんだかぬるっと働けてしまい今に至るという訳だった。
「藤華は、今日ありがとね。まさかここまでガッツリ手伝ってもらう感じになるとは……」
「いいよ。個人的に、神社の仕事には興味があったし」
どうせ1人で、することもなかったから。
……口にしたら最後、「藤華のぼっち年始を阻止できてよかった!」と喜ばれそうで癪なので、後半は心の中でだけ。
正味、別に僕の交友関係は狭くないし、こういうイベント事は好きなので誘われれば(疲れを押しての参加にはなるが)嬉々として出かけていたと思う。
じゃあ何故僕の元旦の予定が「始業式後の日常会話に備え、家で1人正月特番を履修する」になっていたかと言えば、単純に周りがみんな多忙なのと、3人以上での関係は、面子の中の1人でも欠けると若干集まりづらいのと。
白鳥先輩は対策課の一員として、年末から年始まで古海市内を巡回している。(とはいえ、一連の事件の後古海は元の平穏を取り戻しつつあるので、ほとんど既知の共鳴者への挨拶回りのようになっているらしいが)
須藤さんは警察の方の仕事もあるので多忙を超えて多忙。
林堂先生はこちらから何かに誘うような間柄じゃない。
半田は年始は父方の実家に帰省するらしく不在。
睦月さんとサシはキツいし、槻宮は、年末僕らが応援に入った甲斐あり多少休めた分、年始が地獄らしい。
そういった事情ありきの予定のなさだから、特に僕が寂しい人間という訳ではないんだけど。
もっと言うと、僕は別に1人でいるのも、それはそれで構わないタイプでもあるんだけど。
神社にめぐりさんを送り届けた時、言葉やつばささんに迎え入れられ新年の挨拶を交わすめぐりさんを見て、なんとなくこのままここに居たいと思ったのも、また事実であり。
それが快く受け入れられたこと自体は、割と、寧ろ、ありがたかった。かもしれなかった。
「いやぁ~、3人だとどっかで1人シフトになっちゃうからさあ。1人は絶妙に暇だし若干大変だから、ほんとにほんとに助かった!」
言われてみれば、正月期間は授与所の窓もカーテンも全開なので、死角に引っ込んでゲームやらで時間を潰すこともできないし、立て込んだ時1人だと焦るしで嫌かもしれない。
にへ~っとこちらへ笑いかけるめぐりさんの笑顔はいつも通りの安穏さだが、気が抜けたせいかものすごく眠たそうに見えた。
心做しか滑舌も甘い。
「助けになれたならなによりだよ」
元より、僕がめぐりさんを協力者として特務庁に引き込まなければ、年の瀬に任務が舞い込むなんてこともなかった訳だし。
その埋め合わせ……というか純粋に、今目の前にいる、”本当は眠りそうなほど疲れているのにひたむきに頑張っている友人”の助けになれるのは……素直に喜ばしいことだから。
「すみません……御朱印お願いします」
「あっ、はあい! 500円になります」
丁度会話が一区切りついたあたりで、めぐりさんが参拝客に声をかけられ、振り返り応対する。巫女として働いている間はきちんと”巫女”に切り替わるようで、御朱印帳と初穂料を受け取る姿は眠たそうには見えなかった。
気持ち深く一呼吸した後、筆を持ち背筋を伸ばす姿は、冬の空気のように澄んで綺麗だ。
墨をすり、さらさらと書き付けて押印した後、「ようこそお参りくださいました」と御朱印帳を返す一連の所作が堂に入っていて、1年で今日明日くらいしか御朱印書くことないだろうによくやるよなと、毎度感心してしまう。
「……そんなじっと見ないでよ。やりづらいんですけど」
御朱印帳を受け取った参拝客を見送り、おずおずとこちらを向いためぐりさんは、ずっと僕からの視線を感じていたのか、ちょっとむっとして文句をつけてくる。
「ごめん。なんか珍しくて」
「今日もう10回くらい書いてるじゃん。よく飽きないよね」
「飽きはしないよ。綺麗だから」
「…………。」
僕の言葉を受け、ぐっと息を飲んだめぐりさんに、「あれ? 僕また何か言っちゃいました?」と己の発言を振り返り、遅れて得心する。
なるほど、「綺麗」で照れてるのか。
僕は僕で眠くて頭が回っていないらしい。素で言っただけで、揶揄うつもりじゃなかったんだけど……めぐりさんの反応が面白くて、悪戯心が刺激されてしまう。
「…………綺麗だったよ。真剣な表情も、真っ直ぐな姿勢も、丁寧な筆運びも。」
「ぅ……。急になに? なんか企んでる?」
「思ったことを言ったまでだよ?」
「うそつけ!!」
「本当なのに。」
耳まで赤くなりながら俯いて顔を背ける姿は、なんというか”等身大”だ。
めぐりさん、シンプルな喜怒哀楽は勿論、時と場合によって本当に色んな顔をするよな、と改めて思う。
頬杖をつきながら満足気に眺めていると、ばっと振り返ってギッと睨まれた。さながら小動物の威嚇だ。
「一番綺麗なのは、年末あんなに使い倒されて、休んでも誰も文句言わないだろうに今日も朝から神社で働こうと考えるその心意気だけどね」
宥めるように、労うように微笑んでそう添えると、めぐりさんはまだほんのりむくれてはいるものの、睨む顔をゆるめて
「………………ありがと…………」
と、お礼を返してくれた。
「あと前から思ってたけど巫女服すごい似合ってるよね。かわいい。」
「ん”ぇっ!? ………………ド……ドウモ……」
気持ちとか行動を褒めた時は割と素直に喜ぶのに、外見とか所作を褒めると挙動不審になるの、やっぱめちゃくちゃ面白い。
隙をつかれて受身もとれずに照れるめぐりさんを視界に納め、恐らく今僕はこれ以上ないくらい満面の笑みを浮かべているのだろうと、不随意な表情のことをぼんやり想った。
それから30分程授与所の番を続け(あんまり褒め倒すのも疲労困憊の身に酷だと思い、残り時間は普通の世間話をしていた)たところで、休憩上がりのつばささんが戻ってきた。
曰く、残りの数時間は言葉とつばささんでどうにか出来るので、僕とめぐりさんは今日はもう休んでほしいとのこと。
正直、僕もめぐりさんも終盤は「会話を止めたら寝そう」いう共通認識の上で喋り続けていたので、その申し出は大変ありがたかった。
じゃあ帰りますとそそくさ立ち去ることも出来たけど流石に冷たい気がしたので、私服に着替えると言って奥へ引っ込んで行っためぐりさんを外で待つことにする。
5分程して出てきためぐりさんは、すっかり見慣れたダッフルコートに赤いチェックのマフラーを巻いた姿で、どういう訳か両手に1枚ずつ絵馬を持って掲げていた。
「じゃーん。サービスの絵馬でございます!」
「サービスって……神職でしょ。」
「細かいなあ。じゃ、神様の思し召しってことでここはひとつ」
「アバウトだなぁ」
バチあたりでは……? と思わないでもないけど、手伝いに対する神社側からの謝礼と考えれば、それ程おかしな事でもないのかもしれない。
何にせよ、他でもないめぐりさんがいいと言うのだからいいのだろう。
巳が描かれた、手のひら大の木の板を受け取る。
「なに書く?」
「こういうのって人に言わない方が叶うんじゃないの」
「それも聞くけど、どんどん口に出した方が叶うとも言わない?」
「引き寄せの法則ね。僕は擬似科学だと思ってるけど」
「それ言ったら”願いごとは秘密にした方が叶う”ってのもオカルトじゃん」
「まあね」
話しつつ、授与所脇に置かれた長机へと向かう。
机にはペン立てがテープで固定されており、絵馬を書くためのペンが何本か用意されていた。
書き始めためぐりさんが、隣で「えっ、このペンめちゃカスカスなんだけど!!」等と騒いでいるのをよそに、何を書こうか考える。
幸い、自分も周りも健康には困っていない。
失くしものは見つかったばかりだし、良縁にも恵まれてるし、恋愛にはこれといって興味がない。
願い事、と言われて漠然と浮かぶ「主人公になりたい」だとかを神様に丸投げするのはなんだか気が引けて、じゃあもっと身近なものを……と思うと、それは自力でどうにか出来るので願うほどでもない気がしてしまう。
僕がしばらく悩んでいると、めぐりさんは先んじて書き終えたらしく、「でーきたっ」とペンを戻して自分の絵馬を手に取った。
「藤華まだ決まんないの?」
「うん。……いざ願い事って言われると意外と難しいね」
「悩む人ってなんかめちゃ悩むよねぇ。私はいつもおんなじこと書いてるから爆速なんだけど」
「ちなみにめぐりさんの願い事は?」
僕が尋ねると、めぐりさんは絵馬の文字を書く面を見せてくれた。
そこには、安定の綺麗な字で「みんな楽しく過ごせますように」と書かれている。
ちなみにだけど、インクは確かにカスカスだった。
「なるほど。実に言葉めぐりだね」
「なにその感想」
ものすごく微妙な顔をされたものの、これ以外のコメントが見つからないので仕方ない。
あまりに言葉めぐりすぎて僕の願い事を考えるにあたっては1ミリも参考にならなかったが、是非もないだろう。
気を取り直して自分の絵馬に向き直ることにする。
「思いつかないなら世界平和とかでいいんじゃない?」
「世界平和は別に願ってないからなぁ……」
「そっかぁ。……こうなっても適当に書いたりしないの、藤華って大概まじめだよね」
「……言われてみればそうかもね」
進路希望調査票や履歴書であれば、それらしい事を書いて済ませればいい。
あるいは別の神社であれば、適当に埋めて吊るすのに差程抵抗はない。
けれど、こと言葉神社に関してだけは、その恩恵を大いに受けた身として、最低限真摯でありたい気持ちがあった。
まだしばらくかかりそうと見たのか、めぐりさんは「かけてくるね」と言い残し、絵馬掛け所へぱたぱたと走っていく。
七夕の短冊でもないのに最上段を目指したいのか、絵馬を手に背伸びをするめぐりさんを、僕は遠巻きに見つめて。
ふと思いついたので、ペンを1本選んで蓋を開いた。
こういう板材に文字を書くのは久しぶりだ。僕の選んだペンはめぐりさんのペンのようにカスカスではなかったけど、そもそも板にペンで線を引くと想像以上にインクが滲んで書き辛い。その上僕は字が汚いので、だいぶ読解に難のある絵馬になってしまったが、神様であればきっと意を汲んでくれることだろう。
ペンを戻し、絵馬を持ち机を離れる。
無事最上段に絵馬が掛けられたのか、戻ろうとこちらを振り返っためぐりさんへ、軽く手を挙げながら歩み寄った。
「書けた?」
「書けた」
「なに書いたの?」
あれだけ悩んで決めたのだから、さぞかし素敵な願い事なのだろう……とでも言わんばかりに目を輝かせ尋ねてくるめぐりさん。
対して僕は、絵の面が表に……願い事の面が裏になるよう絵馬を掛け、悪戯に微笑んだ。
「叶えたいから、言わない。」
めぐりさんは、ちょっと面食らった顔で数回瞬きした後、腑抜けた眠そうな顔でふにゃりと笑う。
「叶うといいねぇ」
「うん。叶うといい。……というか、頑張るから応援しててくださいみたいな感じだけど」
「いいじゃん」
「めぐりさんのも”祈り”って感じで僕は好きだよ」
「そうかなあ。なんか抽象的だなぁって自分ではおもったりするけど」
「めぐりさんの場合、具象的なことは自分でなんとか出来るから、神頼みが抽象的になるのは仕方ないんじゃない?」
「たしかに……?」
眠たい頭でふわふわと言葉を交わしながら、2人並んで鳥居を潜り、境内を後にする。
振り返り一礼するめぐりさんに倣い軽く頭を下げて。
「てゆーか藤華さあ、すごい眠そうだよ」
「めぐりさんもね」
「そのまま運転したら死ぬよ。うち寄ってきなよ」
「正月早々縁起でもないこと言うなよ。まあ実際死にそうだし、良いならお邪魔するけど……」
「ん。手伝ってくれたお礼したいしね。夕飯食べてきな~」
「それ以前に寝ないとまずそうだけどね。お互いに」
「ほんとそう! ねむ~い!」
めぐりさんは、何が面白いのかけたけた笑いながら両腕を広げ、前へ進みつつくるくると回りはじめた。
うっかり御神酒でも呑んだのかと疑うほどの有様だが、特に顔が赤いとか酒のにおいがするとかもないし、恐らく疲れと眠気とタスクを全てこなした解放感でハイになっているのだろう。
ご機嫌なだけであれば、危なっかしいが実害はないのでよしとする。
はためき広がるマフラーの端。冬の風は真昼でも切るように冷たいのに、あんなに回って寒くないのだろうか。
僕の規則的な足音とめぐりさんの不規則な足音が、人通りも車通りもない一車線の道に響く。
遅めの昼食でも作っているのか、通りがけの民家から唐揚げの匂いが漂っていた。
実に平和な元旦の午後。昨日までの激動がまるで夢のようだ。
「あ、ねえ、藤華」
「なに?」
「今年もよろしくっ、ど、うゎッ!?」
脊髄トークと共に、足が縺れて転びかけためぐりさんの腕を掴んで支える。
「転ぶよ。ちゃんと歩きなよ」
「はあい」
僕に引っ張られて体勢を立て直し、またくつくつ笑って。
「あけましておめでとうは言ったけど、よろしくはまだだったから」と加えるめぐりさんは、早くも傾きつつある冬の太陽に照らされ、相変わらずやわらかく透き通っていて。
「こちらこそよろしく。めぐりさん」
僕は努めて編んだ笑顔でなく、たぶん素直に笑って言った。
眩しくて、苦しくて、心地よくて綺麗で、大嫌いだ。けれどずっと見ていたかった。
……そう遠くない未来、僕らの道が別々になる日は必ず来るだろう。
僕の異動とか、めぐりさんの進路とか?
けれど、先輩に託されたものを手放した今もなお、春の夜の願いは僕に突き刺さったままだった。
目指す星を違えるまで。
お前が燃え尽きてしまうその日まで。
蝋の翼が溶け落ちたとしても。
──たとえ追いつけなくとも、道が分かれるその時まで、あとを走り続けられますように。
境内に揺れる、滲む癖字の願い事を想う。
「叶うといいねぇ」と屈託なく笑う、めぐりさんの声を想う。
じゃあ叶うだろう。
だなんて根拠もなく一度考えてから、めぐりさんの妙な陽気が伝染ってるから、やはり僕らは一刻も早く寝るべきだと思った。
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