自創作キャラ図地藤華と言葉めぐりのはなし。
課題で書いた奴。
「なんかそわそわしない? こんな高そうな建物初めて入ったし……」
「それは金額的に? それとも、高度的に?」
「どっちもだよ」
駅徒歩五分の高層マンション。いかにも家賃の高そうな二十階の一室に、私と藤華は忍び込んでいた。
正味何も聞かされていないのでぶっちゃけめっちゃ怖いんだけど、玄関の靴を見るに、そこそこお年を召された男性と若い女性の二人暮らしっぽい。親子? 愛人? ……私の足りない頭じゃたぶんわからないし、聞いてもどうせはぐらかされるんだろうけど。
先を行く藤華は靴を脱いで家に上がると、他の部屋には見向きもせず右の部屋へ向かった。私も、履きつぶしたローファーを脱いで……せめてもの良心できちんと揃えてから、後を追う。
「ねえ、藤華。ここほんとに友達んちなんだよね? 私達捕まったりしないよね?」
「そんな、借りてきた猫みたいにちぢこまらなくても大丈夫だよ」
藤華が開いたドアの先にあったのは、なんというか、書斎みたいな部屋だった。八畳くらいの広さで、入ってすぐ右になんかごちゃごちゃ乗った棚、右奥に布張りの本がいっぱい詰まった本棚、正面奥に窓、左に暖炉のレプリカみたいなやつ、まんなかにテーブルが置いてあって、全体的に落ち着いた雰囲気で纏まっている。
靴下越しに伝わる、毛足の長い絨毯の柔らかさに自然と背筋が伸びる。そういえばこのマンションのエントランス、めっちゃいいにおいしたなぁ。
「じゃあ、なんで私を連れて来たのさ。鍵まで開けさせちゃって!」
本棚へ直進する藤華と横目に、窓に背を預けながら私はぶすくれる。普段なら、もう少し納得のいく説明をしてくれるんだけど、今回はやけに事を急ぐから、ちょっと心配が混じってたりもする。
「……逆に聞きたいんだけど、もしもここが僕の友人宅じゃなかったとして、めぐりさんはどうするの?」
「どうしてこんなことしたか説明してもらう」
即答で返す。後ろ姿だからほんとのところはわからないけど、なんとなく、藤華は笑ったような気がした。
「じゃあ、大丈夫。説明は省くけど、コレは僕等にとって必要なことだ」
藤華は本棚に詰まった分厚い本を数冊みつくろって机に並べながら、演説みたいに仰々しく喋って、綺麗に笑った。然るべき説明をする気はないらしい。
「……私、そのカオ好きじゃないなぁ」
「どうして?」
本から離した藤華の視線と私の目線がかちんとぶつかる。黒のメッシュが入った白髪はこだわって染めてるみたいだけど、不良っぽくて真面目な藤華にあんまり似合ってない。 口元はうつくしく弧を描き、菫色の瞳を柔らかく緩めた笑顔は綺麗すぎて、私にも偽物だってわかっちゃう。
首をかしげるその角度だって、なんかちょっと適切過ぎて気持ち悪い。
「作り笑いだから」
「なるほど」
にこり、素敵な作り笑いで笑う図地をハシビロコウばりに睨みつけた後、待っている間することもないので、私は部屋をぐるぐると歩き始める。
「なんかめっちゃ古い紙のにおいがする」
「この部屋に保管されている文献はどれもとびきり古いからね」
「棚のコレ何?」
「ニキシー管の置時計。十万はするから触らないほうが良い」
「じゅっ!?」
「嘘だよ。その型なら、確か三万くらいで買えたと思うけど」
「それでもじゅうぶん高い! っていうか、おちょくらないでよ!」
「あはは。めぐりさん、からかい甲斐があるからさ」
結構しっかり嫌いだって言ったのに、藤華はゴメンとかなんとか言いながら、またあの綺麗な顔でこちらへ微笑みかけた。
私は普通に笑い合ったり喋ったりしてみたいだけなのに、藤華はずっと嘘をついて、悪者みたいな顔をしている。
そういうの、全然似合わないよ。そんなのより、『ヒーロー』とかやればいいのにって言ったら、藤華はやっぱり笑ってごまかすのかな。
*
こちらへ接近する存在に気付けなかったのは半ば仕方のないことだった。僕の能力――頭の中の地図に表示されるのは最高条件下でも半径十メートル圏内がせいぜいで、特にこう言った高層建造物内ではオブジェクト上限の関係もあり掌握できる範囲はとても狭くなる。
そのうえ集合住宅とくれば日常的に出入りする人間なんて数多くいるわけで、たくさんの点の中から自分たちの元へ向かっている人間を、それも資料に目を通しながら察知するのは不可能に近い芸当だった。……ここまでは、言い訳だ。
御託はさておき、今目の前で発生している事態への対処法を考えなくてはならない。
僕がテーブルに並べた資料を眺め、めぐりさんが部屋中をあらかた探索し終わり窓から外を眺め始めた頃、ふと気配を感じ、視線を上げると同時に書斎のドアが開いた。
あるいはドアを開けたのが家主であればまだよかったのだが、そこに立っている男は黒づくめの服装で白くのっぺりした仮面をつけ、大きなナイフ持っていたのでわずかな希望はただちに霧散する。
要するに、泥棒と泥棒が鉢合わせてしまったわけだ。最悪のシチュエーションすぎていっそ笑えるよな。
めぐりさんの言霊を使えば撃退自体は容易かもしれないが、下手に動いて攻撃されたらひとたまりもない。彼女の体育の成績はたしか二だ。この狭い部屋の中、突進されたらまず避けることはできないだろう。
僕一人なら愚直に走って逃げられるかもしれないが、悲しいかな僕とめぐりさんの能力を比べると、めぐりさんの能力の方が遥かに重要性が高い。味方にしておく利点としても、犯罪組織の手に渡った際の危険性としても。それを踏まえるなら、僕はこの身を盾にしてでも彼女を逃がす必要があるのだけれど、それもたぶん無理だろう。この子は割と情に厚いし割り切りのできる方じゃない。僕が盾になれば、彼女は逃げない。
ついで言うのであればめぐりさんは咄嗟の機転が利く方でもないので、この状況を打開するには僕が指示を出し、彼女が言霊を使用する必要がある。
であれば、機動力のある僕がそれをできるだけの隙をつくればいい。
――一瞬で、ここまで。あとはとにかく動くしかない。「机の下にもぐって」と叫ぶと、彼女は素直に従った。ここの資料を盗みに来ただけなら、わざわざ机の下へ潜り込んでまで彼女を先に狙うことはないだろう。とりあえず、手に持っていた本を男に向かって投げる。非力な僕じゃ八畳の対角まで重いものを投げるのは不可能だけど、戦闘に慣れていなければ見るからに重そうなものを持って振りかぶられるだけで驚くだろう。
……だが男は怯まなかった。
つまり、相手『も』こういう状況に慣れているということだ。『も』なんて言うからには、そりゃ僕だって慣れている。
同学年として学校に通い、とーかとーかと呼び捨てにされてはいるけど、僕は実際にはめぐりさんより一学年分年上だ。加えて特務庁の一員として働き始めてから一年と暫く経ってるし、このくらいの修羅場なら一人で切り抜けたこともある。
テーブルや棚を動かしたり倒したりするのは非力な僕にはできないし、格闘の心得なんてあるはずがない。とはいえ、こちらと向こうじゃ勝利条件が違う。
「めぐりさん」
さっき僕が投げた本が、男の足元に落ちる。男はそれを見降ろし、鼻で笑った。踏み出した奴の一歩は大きい。逆説的に、この部屋の中に限れば、僕は小回りが利く分有利ということだ。
「まず、逃げ道を作ろう。それはもう、笑っちゃうくらい派手にね」
僕は、男から逃げる様に駆け出す。なるべくテーブルを挟んで反対側に相手が来るよう、細心の注意を払いながら。
「上手くタイミングを合わせて。条件付けは、『僕が触れている』、だ。男も同じ。頼んだ」
返事は無い。こういう時、めぐりさんは声で返事をせず頷くことが多いから、見えないけどきっと机の下でこっくり頷いているんだろう。彼女のそういったまるい動作を僕は密かに気に入っているので、今、この瞬間彼女が視界の外にいることをほんの少し残念に思う。
男は僕がドア側へ回り込まない様動いている様だが、かえって好都合だ。長々と追いかけっこをしても仕方がない。僕は窓ガラスの正面に回り、指先がガラスから離れない様気をつけながらすっとしゃがみ込んだ。
それを隙と見た男がナイフを構え猛然とこちらへ走り出すのを横目に、僕は机の下のめぐりさんへウインクする。おまけにふっと笑って見せれば、彼女は酷く苦々し気に顔をゆがめた後、僕にしか聞こえない様なほんの小さな声で、魔法の言葉をつぶやいた。
「図地藤華の触れている窓ガラスが、笑っちゃうくらい派手に砕け散る」
――言霊は、過不足なく世界へ聞き届けられた。
笑っちゃうくらい派手に砕け散る窓ガラスを正面から浴びた男は節々に切り傷を作り尻もちをつく。咄嗟に腕をひっこめたとはいえ僕もそこそこ痛かったけど、傷の様子を見るより先にすることがあった。
立ち上がるそのままの勢いで飛び掛かり、男の手からナイフを奪い取る。流石にまずいと思ったのだろう。男は即座にナイフを奪い返そうと僕の手首をつかむけれど、こうなった時点ですでに勝敗は決している。
「図地藤華が触れている人間は、今から三時間の間爆睡する」
彼女の言葉に倣い、男は糸の切れた人形の様に崩れ落ち眠り始める。……ただ眠っているだけなので、早いところここを離れたほうが良いだろう。
「お疲れ様。もう大丈夫だよ」
机の下のめぐりさんに声をかけると、彼女は床に散らばったガラスに気を付けながらのそのそと這い出て来た。
「何だったの、今の」
彼女は不機嫌を隠しもしない低い声で尋ねながら立ち上がる。僕も机を支えに立ち上がって、男から奪ったナイフをめぐりさんへ渡した。その刃に刻まれたマークを見て、彼女は露骨に顔をしかめる。
めぐりさんはしばらく何か言いたそうにしていたが、思考能力の限界が来たのだろう。ゆるゆると首を振りながら、「いいや。でも、帰ったら質問攻めするから」とため息まじりに溢した。
「そんなことより藤華の怪我だよ」
彼女は僕の手を取って言う。身を守る意思がある分男ほどひどいことにはならなかったが、机の下に居ためぐりさんの様に無傷、とはいかない。彼女は言霊で僕の体に刺さったガラスを取り除き、怪我を癒す。
「いつも思うけど、ほんと便利だよな」
「便利なのはそうだけど、ドラえもんみたいに使うのやめてよね」
むっとする彼女に「考えとく」と返しつつ、手を切らない様気を付けながら机の上の本を確認する。ガラスの破片が降り注ぎこそすれ、僕が男へぶん投げた一冊以外これといったダメージはない様だ。破片だけ払い落として、棚に並べられたコレクションの一つであろう高そうなトランクを手に取る。
「盗むの?」
と、ご丁寧に僕等を襲った暴漢の怪我まで治しつつ、彼女は尋ねる。
「こんなに滅茶苦茶したらもう、盗みもへったくれもないだろ」
「たしかに」
彼女は何とも言えない顔で頷いて、荷造りに手を貸してくれる。おおよそ詰め終わってトランクを閉じると同時に、地図にひとつの反応があった。二十階でエレベーターを降車し、この家へ向かっている。
「誰か来るな」
「……不審者の仲間かな?」
「家主かもね」
「どっちにしろ最悪じゃん!」
ぎゃんと吼えるが如く叫びかけた彼女の両頬を両手で挟む。「むぎゃ……」と間の抜けた声を漏らすのがおかしくて……それと、これから起こるであろうことが楽しみで仕方がなくて、僕は思わず笑ってしまう。
こうしてみると、彼女の印象は出会った時から変わらない。放課後の保健室で一人大騒ぎしながら大富豪アプリで遊んでいた、少し間の抜けた女の子だ。
くつくつ笑う僕を見て、両頬を挟まれた彼女は目を丸めぽかんとする。……そういえば、こうやって君の前で素直に笑ったの、これが初めてかもな。
するりと頬から手を離す。彼女は真っすぐに僕を見つめながら、「全然笑えるんじゃん」と、何故か不服そうに呟いた。
時間がないから返事はせずに、僕は尋ねる。
「飛び降りるけど、覚悟はできてる?」
――元から色素が薄いのだろう。彼女の焦げ茶色の髪が、遮るもののなくなった窓から吹き込む風で揺れていた。ぱちんと切りそろえられた短い前髪の下、めぐりさんは僕の目をまっすぐ見つめる。澄んだ深緑の双眸は僕の瞳を通り越し、心まで穿つ様だ。
なんにも知らないまま、それでもなんだって見つけてしまえそうな彼女の瞳が、僕は少しだけ苦手だった。
「もちろん!」
短く答えて不敵に笑う言葉めぐりは、僕の敬愛する先輩と何一つ似ていないのに、窓を背にした彼女が背負う空の蒼さは、あの日屋上で先輩が背負っていた空と泣き出したい程そっくりだった。
言霊で吹き飛ばした甲斐あって、窓枠にはひとかけらのガラスも残っていなかった。僕等は脚をマンションの外へ出すよう窓枠に腰掛ける。彼女は迷うことなく僕の手を握ったし、それが必要なことだったから、僕はしっかりと握り返した。
傍らの少女は、高層マンションの二十階から見える景色をほうっと眺めていたが、心を決めたのか、ふっと表情を手放す。それは『重い』言霊を使う時の、彼女の癖だった。
――ゆっくりと、細く、深く、小さな身体すべてを使い、少女は息を吸う。
言葉神社の跡継ぎたる巫女が振るうは、確と口にしたことが必ず現実になる言霊の力。
「祓え給え 清め給え 守り給え 幸え給え」
ゆらり、彼女の周囲の空気が揺れる。その瞳は、唯一絶対の前を見据えている。
「此れの身に坐ます 掛けまくも畏き荒柔言葉尊」
風が止む。空が澄む。世界が、彼女の言葉を聞き逃さんと耳を澄ましている。
「産土大神等の大前を拝み奉りて 我が願い聞こし食せと 畏み畏みも白す」
紡いだ声は澱むことも縺れることもなく、その祈りの輝きのまま、どこまでもまっすぐに透き通っていた。
「繋いだ手を放すまで、私と藤華は、何があっても傷つかない」
背後にて玄関の開く音、のち、僕等を見つけた誰かが何かを叫ぶ。けれど僕等は振り返らず、二十階の気の遠くなるような高さから身を投げる。落下する体。悲鳴が僕らに追いついても、振り返ることすらせず、しっかりと手を繋いだまま、ただ落ちていく。
横を見ると、言葉めぐりも僕を見ていた。目が合って、笑う。ジェットコースターやバンジージャンプよりずっと非日常的な楽しさがそこにはあった。
それにしても、なんてバカな子だろう。もし僕が彼女に敵意を持っていたら、繋いだ手を放すだけで心中とはいえ本懐を遂げることができてしまっただろう。それでも、彼女はああ言ったし、どうせ、深い事なんて考えていないんだろう。
不器用でお人好しで馬鹿正直。とびきり強い力があるのに、放っておくとくだらないことにばかり力を使う頭の弱い女の子。
そんな君には、きっと『神様』が良く似合う。なんて言ったら、君は死ぬほどわかりやすくドン引きするんだろうな。
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