いつかの、どこかの、ふたりのおわり。
思考や感情より先に身体が動く。
冗談みたいに赤く染まっていく祭服を。
広がる血溜まりを。
瞳の虚ろを見るより速く、駆け寄った。
銃弾が左肩を貫く。
痛みより先に、突き飛ばされた様な衝撃を受け数歩よろめく。
こんなにも騒がしいのに、腕を滴る血がぱたりと地面に落ちる音を聞いた気がした。
左手はもう動かない。
ぱすん、と、呆気ない音が鳴ったと思えば今度は脇腹に衝撃。
ぱすん、ぱすん。
音の度、ゆら、ゆらと、わたしはよろめいて。
「……ぁ”、ぅ」
がぽ、と込み上げた血の塊を吐きだす。
あつい。つめたい。
空いた穴から中身が零れるにつれ身体が軽くなっていく。地に足がつかずふわふわと足元が乱れ、その度転ばないようなんとか姿勢を立て直す。
不思議と痛みは感じない。
それよりも、ユーリの様子が気がかりだった。
血溜まりの中央で、天恵を奪われた金色は倒れ伏して動かない。
やっとの思いで近付いて、傍らに膝をつき手を伸ばす。
指先がユーリの手に触れた瞬間、わたしはどうしようも無く理解してしまう。
――目の前の男は、もう死んでいる。
右手で握りしめたユーリの手は温かかった。
でも、それは”まだ”温かいというだけの事で。
「ゆー、り」
物理的にも精神的にも、胸と喉に何かがつかえて上手く喋れない。
ひゅるひゅると、自分の喉を空気が通る音が間抜けに鼓膜を揺らす。
他の音は全部遠くで響いていた。
「ゆーり」
ぎゅっと、強く握って。
わたしの握力じゃ痛くも痒くも無いって、笑え、って。
「……ねぇ。」
握った手をゆらゆらと揺らしてみるけど、反応が返ってくる筈がないのは、わたしが一番良く分かっていた。
……世界の底が抜けたみたいだ。
足場が無くなって、ずっと、下まで落ちて行くような。
あの日の散華の続きを見るような。
冷えきった世界を下って、心の底に触れる。
すがりついた柔らかいものはすべて粉々になった。
何も手に戻らないことは嫌という程知っている。
涙は出ない。
わたしは、きっとあんたと出会うべきじゃなかった。
ユーリの両瞼をそっと下ろして、額を合わせる。
眠るように安らかだ。
死ねない事を枷に思っていた節はあっただろうから、ある意味、荷物を下ろしたような気持ちなのかもしれない。
ぱすん、と、また音がした。
身体に穴があく。中身が零れ落ちていく。
振り返れば数人の大人がそこに立っていた。
先頭の男がこちらへ手を伸ばす。
その手がわたしの腕を掴み、引きずるように立ち上がらせるのを、わたしは、糸が切れた様に、されるがままになって。
もう、どうでもいい。
そう思っていた、けど。
別の男が、ユーリの亡骸へ手を伸ばすのが、視界の端に映った。
パキンと音をたて首輪が砕ける。
言葉より、思考よりも先に、炎が男の身体を包んだ。
「触るな。」
死体相手に何を執着しているのかと、自分でも思うけど。
けど、わたしのしあわせは、あなただけにあったから。
……名前はなかった。
友人でも恋人でも、家族でもない。
わたしにとってユーリは”ユーリ”。そして世界のぜんぶだった。
此岸の際、地獄の底に堕ちるわたしの手を取ってくれたひと。
深淵の中、偽りのひだまりに囲いこんで、優しいゆめを見せてくれたひと。
地獄行きの列車から降りる事は出来ないのに、現世への希望を抱かせるだなんて。なんて、酷な毒だろうと思うけど。
だから、だめなの。
そのひとだけは。
わたしの腕を掴んでいた男は、ユーリに触れようとした男が燃え上がるのを見て、咄嗟にわたしを突き飛ばす。
地面にぐしゃりと倒れたわたしは、ずりずりとみっともなく這ってユーリに近付いた。
男達がわたしへ銃を向けたから、わたしは、みんな燃やしてしまう。
怨嗟の叫びが鼓膜をゆらすけど、もう……やっと、なにも感じない。
「ねえ、ゆーり」
泥で汚れた白い頬へ手を伸ばす。
指先に触れたなめらかで冷たい肌を撫でて。
「わたしにできること、ひとつだけ、みつけた。」
頬から手を引き、なんとか上体を起こした。
大丈夫。
漸く訪れた休息へ、水を差すなんて絶対に許さないから。
――全身穴だらけだ。わかんない。
ふわふわして、あまり痛くない。
寒いけど、熱い。
何よりも、堪らなく寂しかった。
……ひとり、息をしていた。
心臓が強く鳴っていた。
いつぶりだろう。
わたしは、祈る様に手を組んだ。
背に負うは黒炎の翼。
生を燃やし、死へと誘う、決して消えない死神の影。
穴だらけの身体は思うように動かず、けれど避けるべきは一つだけだから、左程難しいことじゃない。
ゆっくりと息を吸う。
祈りは誰にも届かない。
微笑みは、金色を写す様に。
すべては些事だ。
遍く生を灰塵に帰す負の熱量が、天を嘗め、地を染める様に高く、広く。
世界の。彼とわたし以外のすべて。
音も、光すら呑みこんで、黒く燃え上がった。
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