どこから出て来たか分からない奴。
君へ
手紙をありがとう。食事の誘いは申し訳ないけど断らせてもらうよ。理由は、この手紙を読めばだいたいわかると思う。
君もよく知っていることだけれど、ぼくはあまり要領が良くないから簡潔にまとめられないんだ。
だから、とりあえずはぼくの好きなように書いて送る。先んじて、それを許して欲しい。
そして、君にこの手紙を破り捨てる権利があることもまた、ここにきちんと記しておく。
たとえば、たとえばだよ。
きっとぼくが君に何か言ったところで、君は変わらずこうなっていたと思うんだ。
だってさ、君はほら、とても現実主義者だったから。どう転んだっていつか夢なんて、追いかけるのをやめてしまうのは分かっていたんだ。
……なんでなんだろうな、それでもさ、ぼくはやっぱ、昔聞いた君の言葉とか、ちょっとした視線の動きとか、そういうのを思い出しては泣きたくなってしまうんだ。
あの日のひたむきな君はすごく綺麗だったからさ。
今頃君は遠くの街で、あの日の自分を捨てて前へ進んでいるんだろう。
手紙、読んだからさ。順調そうで……なによりだよ、本当に。
それで、最近になって漸く気付いたんだ。思えば、君は初めから自分が諦めることを知っていて――いっときの夢として、夢を追いかけていたんだって。
君は現実主義者だけど合理主義者ではなかったから、君自身の心を上手く誤魔化す術として、一時的に夢を追いかけることを自分へ許したんだろう。
今はもう、あの頃のように君を追いかけたいとは思わない。でも、いつも先を照らしていた道しるべがふいに消えて、歩くのが下手くそなぼくは、昔以上によく立ち止まるようになった。
あのさ、苦しいんだよ、生きていくのって。諦めないこと。許すこと。人の近くで人と生きながら自分をしかとあらしめること。全部全部苦しくて嫌になってしまう。
君は現実主義者だったから要領よく諦めてしまったようだけれど、ぼくは違ったから今も苦しいんだ。苦しむだけ損なのに、ばかみたいだろ。
さっきさ、ぼくは君が『前』へ進んでいるって言ったと思う。あの『前』ってさ、要するにみんなが進んでいる方なんだよ。みんなが進みたいと思ってる方が前で、ぼくや、あの頃の君が向いていたのは、それとは別だったから、進んでもそれは前じゃなかったんだ。
なんだかさ、こうやって考えていると、すごく悲しくなるんだ。僕らはなにもない平野にただ立っているはずなのに、気づけばみんなと同じ方向を前だと思うようになって、先人の歩いた筋を道と呼ぶようになる。
でも、そうじゃなきゃ途方に暮れてしまうのも確かなんだ。だからもうずっと、落ち込んでしまう。どうやって生きていくのが幸せで、正しいのかとか、そんなことを考えては眠れなくなるんだ。
……今の君にそんなことを言ったら、考えすぎだって笑われてしまうだろうけどね。
――つまるところ、ぼくの好きだった君は、それはもう完璧に死んでしまったのだと思う。
そして、それはきっと喜ぶべきことなんだ。思うと涙が止まらなくなるけれど、どうしようもなく仕方の無いことだから、君のことを考えるのは今日限りにするよ。
なんだかさ、君が死んでしまうより、ぼくが好きな君が死んでしまうほうが、ぼくにとっては悲しいんだ。こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、でも、事実そうなんだよ。
低く甘い声で伏し目がちに言葉を紡ぐ君も、頬杖をつきながら額に鉛筆の先を当て唸る君も、耳にかけた長い髪がするするとノートに落ちては、それをまた耳にかける君も、書きあがったものを目を逸らしながらおずおずぼくに差し出す君も、もうこの世には存在しない。
それを思う度、ぼくはもう呼吸をするのが嫌になるし、たとえ往来を歩いていたとしても、すぐさまその場で蹲りたくなるんだ。
僕はいつだって、今の君を殺してでも、あの日の君を取り戻したいと願っているよ。
だからこそ、ぼくはもう二度と、君と会うべきじゃないと思ってる。
食事を断った理由はこれだ。
……たくさん恐ろしいことを書いたから、ぼくはたぶん、この手紙を君へ送りはしないだろう。
けれど、もしぼくに魔が差して、この手紙を封筒に入れて宛名を書いて切手を貼り、ポストに投函してしまったなら――ごめん、謝るよ。きっとぼくの言葉は、君をめいっぱい傷つけただろうから。
さて、長くなったけれど、これで手紙はおしまいにしたいと思う。
できればもう、二度と会うことのないように……そして、君のゆく先に幸多からんことを。
さようなら、お元気で。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます