IF:言葉めぐりが誘拐された場合

自創作キャラ図地はかりじ藤華とうか言葉ことのはめぐりと言葉ことのはさとるのはなし。
課題で書いた奴。


 

 

 帰宅部の放課後は速い。とくにバイトが休みで、これといった予定の無い日はなお速い。
 一刻も早く自宅へ戻り、制服を脱ぎ捨て、自堕落なひとときを過ごすべく、俺はクラスメイトへの挨拶もそこそこに、踵の潰れた上履きを下駄箱へ放り込んだ。
 良く晴れて、歩けば方々の庭先から噎せ返るような花の香りがする四月末のことだった。しっとりとした空気にそろそろ冬服のブレザーが鬱陶しいなと思いながら、俺はぼんやりと帰路を急いだ。

 電話がかかってきたのは、帰宅後すぐのことだった。
 正直帰宅直後にかかってきた電話に出るのは死ぬほど億劫だし、きちんと応対するつもりなんて欠片もなかったのだが、念のため発信者を確認する。

 ――画面には腹が立つほど味気ないゴシック体で、図地藤華(はかりじとうか)と、ただ表示されていた。

「急にごめん。言葉悟(ことのはさとる)君の携帯で合ってるよね?」
 マイク付きイヤホンを引っ張り出して通話を開始すると同時に聞こえてきたのは、俺と左程歳の変わらないであろう少年の声だ。俺は「おー」と間延びした返事をして、適当に相手の言葉を待つ。
 同時に、めぐりの学園祭に顔を出した時、俺の能力にいたく興味を持たれ流されるまま連絡先を交換したことを思考の片隅で思い出していた。
 つかみどころのない振舞いでそつなく物事をこなす癖に、言葉から見える感情は誰より人間臭い。まあそれなりに好感の持てる男、というのが、一連の騒動に巻き込まれた俺の総評だ。
 どうして今になって急に連絡してきたのかは分からないが、『言霊』からして図地に悪意はない。ついでに言うと、何らかの問題が発生し俺の助けを求めての行動であることまでは分かっていたので、とりあえず話を聞くことにする。
「説明する時間が惜しい。今から短い動画を送るから、通話は切らず、とにかく再生してくれ。分かったことがあればすぐに教えて欲しい」
「了解」
 俺が承諾すると、すぐに動画が送られてくる。チャットアプリの通話タブを縮め、再生ボタンをタップする。

 動画の内容を簡単に説明するなら、『拘束された制服の少女が床でじたばたともがいている三分程度の動画』の一言で済むだろう。
 手足を縛られ、目隠しと猿轡を施された制服の少女が、床に転がされ、身をよじり、縛られた手で必死に床を叩いて音を鳴らし、言葉にならない呻きを絶やさず助けを求めている様は他人が見たって痛々しい。

 ――そう。他人でさえあれば、不謹慎だけど、まだよかった。

「これは……」
 絞り出した声は微かに震えている。乾いた口内のねばついた唾液を飲み込んで、錯綜する思考に一度ストップをかけた。考えるより、聞く方がはやいから。
「その通り、めぐりさんだ。……ついさっき送られてきて、今ご両親に連絡したり上に回して解析したりしてるけど、悟さんなら何かわかるかもしれないと思って」
 平易な声で、図地藤華は述べる。述べる、という表現がこれほど似合う話し方をする人間は中々いないだろう。図地が発する言葉の大半は、自分の立場ないし役割を表明するために用いられている。冷静で、穏やか。しかし控えめではない明確な意思の色が、図地藤華の言霊の色だった。視界にちらつく文字は明確な闘志の朱色。それと知略の菖蒲色だ。それは、彼が間違いなく少女を救うため奔走していることの証明に他ならない。
「どうかな?」
「言葉が聞こえない以上、なにも、」
 先に続く言葉は喉につかえて、音無く胸の奥へ消えた。
 俺の『言霊』の発動条件は、俺が目を開けていることと、相手が肉声で言葉を発していること。つまり、口をふさがれためぐりの呻き声からその思考を読み取ることはできない。
 つまり、この動画から、俺が特別分かる事は何ひとつない。
「そうか。ごめん」と彼は謝る。それが言葉だけのものではなく、心からの謝罪であることは、言霊を見るまでもなかった。謝罪なんていらない。伝えてくれたことに感謝していると思いはしても、声にならない。
「進展があればすぐ伝える。悟君も、気付いたことがあれば気軽にかけてくれていいから」
「……ありがとう」
 小さく「任せろ」と声が聞こえ、それを最後に通話が切れる。
 もう一度、動画を再生する。
 他人なら、よかった。あるいはただの従妹であれば、幼馴染であれば、それはそれで、一般的な心配の範疇で収まっていただろうから、よかった。

 ……問題は、言葉めぐりがそのすべてを兼任していることだ。

 俺にとってこの女の子は唯一の年の近い肉親であり無二の幼馴染で、おまけに十四年もの間拗らせに拗らせた初恋の相手だ。体の中心で感情という感情が熱を持ちぐるりと渦を巻く反面、四肢の末端は緊張で冷え切って小刻みに震えている。
 駆けだしたい。叫び出したい。ずっと前から覚悟していたし、今までも何度か似た様なことはあったが、それでも慣れるものじゃない。
 頼むから、それ以上、そいつに触らないでくれ。お願いだからもう、そっとしておいてくれ。
 そいつは、こんな風に悪意ある人間の手で使われる様な大層な人間じゃない。家の雑巾がけをサボって叱られたり、テスト前に徹夜で勉強して翌日ゾンビみたいな顔で登校してきたり、コンビニのお菓子売り場を軽く三十分は睨みつけて何を買うか迷ったり、そういうことをする、そういうことこそが似合う、そういう世界の、ごく普通のまっすぐでかしましい、どうしようもなく間の抜けたアホな奴なんだ。
 どれだけ強大な力が彼女の中に眠っていようと、俺にとっては死んでも変わらない。
 感情が表情と直結してて、気に喰わないことがあるとギャンギャン喚いて、その癖意外とひたむきなところがあって、頭良くない癖に何かあると誰より先に走り出すのが言葉めぐりだ。

 ――そんなんだからこんなことにばっか巻き込まれて危ない目に遭うんだよ。マジでアホだな。

 制服を脱ぐことすら忘れ、自室のど真ん中で突っ立って、一人深く息を吸って吐く。
 リピート再生がオンになっていた様で、三分あまりの動画が繰り返し再生される。
 めぐりは諦めることなくもがき続ける。身をよじり、こつこつと床を叩き、声を上げ続ける。
「――――?」
 ふと、床を叩く手元に目が向いた。闇雲に大きな音を出しているように見えたが、その手の動きは身をよじるリズムとは全く違っていて、何らかの明確な拍子を奏でる様に動いている。
 動画のシークバーを操作し、初めから再生する。
 そして、明確に思い出した。

 これは、俺とめぐりが幼少期、会話に使っていた『ことば』だ。

 能力故に口をふさがれていたあいつと、肉声で喋り、手話を知らない俺が会話をするには、筆談が一番手っ取り早い手段だった。
 とはいえ筆談を挟むとなると、一々筆記具を手に取る必要があるし、肉声での会話と比べれば少なからずラグが生じてしまう。
 それを邪魔に思ったものぐさなあいつが考えたのが、手を叩く回数やリズムに意味を紐づけたこの暗号――否、使う頻度の高い単語にしか対応していないとはいえ、最終的に簡単な会話程度はこなせるに至ったひとつの『言語』だった。
 一回叩くのは『はい』。二回叩くのは『いいえ』。初めはそれだけだったのに、二人で駆けまわる中、声の会話ができないことへ不便を感じる度、単語の量は増えていった。
 俺もあいつも当時から特別頭がいいわけではなかったが、子供という生き物は本当にしたい事のためならなんだって覚えていられるもので、めぐりのスケッチブックに二人並んで書き込んだ単語帳の内容は当時の俺達にとって正しく言語として機能していた。
 よくそんな昔のことを覚えていられるなと思われるかもしれないが、俺が手話を覚えた後も、相手の動きを見る必要が無いので咄嗟の返事なんかに使われることがあったし――いろいろな物が変わっていく中ただ一つだけ残った、ふたりきりの世界の名残りだから。

 正味、思い出に浸っているヒマは無かった。動画を再度再生し、めぐりの言葉を拾い上げる。
 当時会話に使っていたような概念しか単語化されていない上に助詞やらなんやらといったモノが一切存在しないので若干分かりづらいが、
「駅、神社、歩く、前、コンビニ、黒、車、男。目、口封じ(めぐりが当時口をふさがれていた布の名前だ)、踏切、音、うしろ、わからない」
 という単語の羅列を聞き取ることができた。
 分かりやすく翻訳するとこうだ。
 ――めぐりは誘拐犯に捕まったその時、駅から神社に向かって歩いていた。前方にコンビニが見えたと思ったら、黒い車から男が出て来て、そこで捕まった。
 「目、口封じ」の部分はたぶん、猿轡に加えその段階で目隠しされたので行先を示すような物は見ることができなかったのだといった事を言いたかったのだろう。耳は塞がれていなかったので、踏切の音は何とか聞こえたが、「うしろ」、つまり、あとのことは分からない。
「結局ほぼノーヒントじゃねーか」
 と、俺は一人吐き棄てる。どちらにせよ、図地藤華に連絡し、捜索班だかなんだかに合流する必要がありそうだった。

 

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