(un)lucky girls

課題で書いた奴。


 

 

 春は曙、やうやう白くなりゆく窓際かなりあかりて、鼓膜を貫く着メロ高く響き渡る…………。
 サクラサク4月中旬。スーツの上着を投げ捨てたくなるぽかぽか陽気の今日この頃。東京23区内、駅徒歩25分、雑居ビルの3階に位置するこじんまりとしたオフィスに一本の電話が飛び込んだ。
 現在、部屋には俺一人。仕事が終わらず会社宿泊を余儀なくされ、机に突っ伏し眠っていたのだが、繰り返すコール音に目が覚めてしまった。
 心に灰が積もった様な虚無感に苛まれ、ブラインド越しの朝日に照らされた部屋を数秒ぼんやりと眺める。
しかし、そんなことをしていても何になる訳でもない。
 俺は、のったりとした動作で積もり積もった書類を床に引きずり落とし、紙束の下に埋まった白い親機を掘り出した。受話器を取って応対するは、マジ寝起き5000パーセントの俺こと坂月さかつきいつきだ。
「お待たせ致しました、株式会社CAKUYOです」
 入社3年目ともなれば、電話応対も手慣れたものだ。口馴染んだ定型文をすらすらと口にすると、女は一言こう答えた。
「私、不幸体質なんです」
「は?」
 先方から聞こえてきた死ぬほどかわいい女の声と、エンジェルボイスで紡がれた意味のわからない単語に思わず素が出る。
 もし、声がかわいくなければノータイムで受話器を置いていただろう。
 俺自身、18連勤会社宿泊5日目休日出勤万歳状態で意識が朦朧としているのもあるだろうが、にしたってかわいい。かわいい。
「あぁ、驚かせてしまい申し訳ありません。申し遅れました。私、ハク ミユキと申します。薄い幸と書いてはくみゆきです」
「えーっと、ペンネームかなにかでしょうか?」
「本名です」
 即答だった。
「さて、不躾ながら、早速今回のご連絡の本題に移らせていただきます。御社はWeb記事の作成、編集などをされてるんですよね?」
「ええ、まあ、そうですね」
「ですよね。ということでCAKUYOさん、私のことを取材してください」
 この女は何を言っているのだろう。
「えっ、なに? なんです? 私の事をなんだって?」
「落ち着いてください、何も問題はありません」
 口からこぼれる大きなため息。俺は、防衛機制の一種であろう急激な眠気に襲われつつ返す。
「問題しかないと思うんですけど」
「まあまあ」
 まあまあじゃねぇよ。
「とりあえず、駅前の喫茶ブラックにてお待ちしておりますので、詳しい話はそこで。私はもう着いてますから」
 なんだ、これは。意味わからんぞ。アポのとりかた狂ってんだろ。頭イカれてんのか?
「それでは、失礼致します」
「え、あっ、……」
 受話器を置く虚しい音と共に、一方的に電話が切られる。なんなら俺もキレそうだった。てか、もし声が可愛くなかったら既にキレてた。
 何にせよ、喫茶ブラックへ向かうつもりはさらさらない。俺には大量の仕事が残っているのだ。狂人に付き合うような時間や体力が余っているわけがない。
 受話器を置き、再び机に突っ伏す。
 流れのままぐりっと横を見て腕をのばし、スマホを手に取った。起動。曜日は土曜日。 当然休日出勤だ。そして時間は朝九時丁度。……ってことは、さっきまで八時台だったのか? 営業時間外に電話かけてくんじゃねぇふざけんなよあの女!!
「うぉぉおおおお……眠ィ……」
 額をぐりぐりと机に押し付け、クロールの水かきのような動作でバサバサと書類をはたきおとす。
 何だこの仕事の量は。おかしいだろ。それもこれも社員が俺一人だからなんだけど。てか社長全然仕事しないし、そのくせウチの記事、何でかずっと人気が上がり続けてるから始末が悪いんだよな。
 一昨年の今頃は、なんであのボンクラふわふわ綿菓子女が、ろくに努力もせずこんな愛され中小企業を回していけるのかが不思議で仕方が無かったが、それには恐らく社長の幸運体質が関係しているのだろう。アレは間違いなくツイてるほうの人間だ。くじを引けば必ず一等が当たり、歩けば信号はオールグリーン。買いたいものはたちどころにSALE対象品となり、ちょーっと営業に出かけるだけで紆余曲折を経て10件は良案件をもぎ取ってくる凄まじいまでのラッキーガール。ありゃもう幸運の女神かなんかが取り憑いてる。絶対そう。
 とはいえ、社長のラックやハピネスパワーが俺に降り注がれることはない。細かな昇給こそあれまともにお零れに預かれることもなく3年。28歳のおじさんにこの連勤は厳しいぜチクショー。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ……。ジェバンニが一晩でやってくれ……。

 激務による疲労のあまり何もする気が起きない。つらい。やる気もない。帰りて~~!!! ふかふかお布団で寝て~~~~!!!!! 春眠暁を覚えずとも許される人生がおくりて~~~~~!!!!!!
「ぼべーーー……」
 心が折れそうになったその瞬間、タイミングよくスマホが着信で震え始める。
 画面を見れば、電話は社長からだった。
「……はい、坂月です」
 渋々通話を開始すれば、シャインイエローを想起させる様な、甘く甲高いキラキラボイスが鼓膜に突き刺さる。
「ひゃはー! お疲れいつキチ。そっち今大丈夫?」
「大丈夫の定義によります」
 思わずダミ声で返してしまうが、幸運の申し子は気にすることもなく「おぅらい!」と返してくる。
「キミが生きてさえいればノー問題だよ。んで、本題なんだけど」
 本題。そう改まって言いはするものの、社長から電話で連絡が来るのなんて、記事の締切がヤバい時か、記事の締切がヤバい時か、記事の締切がヤバい時くらいだ。そして、常に何かしらの締切がヤバい我社において、『記事の締切がヤバい時』は『Always』を意味する。社長は毎日バチバチに社長出勤をキメるタイプのダメ女ではあるが、一応毎朝営業時間開始に合わせて電話をかけてくれる。
 俺の一日は、会社で目覚め、社長と締切トークを繰り広げるところから始まるのだ。
「あー、今来てる案件なら今日中になんとかやっつけますんで」
 という訳で、通算n回目のいつもの返答を返す。
 しかし、今日に限っては、この返答は正解ではなかったようだ。
 社長は朗らかに言い放つ。
「じゃなくて、さっきちゃんと調べてみたらさ、キミの働き方そろそろ違法なレベルになってきとるやん?」
「せやですね」
 今更だなおい。
「今日休んでいいよ。仕事は私がテキトーに済ませとくから」
 …………?
「まじすか?」
「まじやで?」
 えっ、まじ? 休める? 俺休めちゃう???
「え、社長、どっかぶつけました? それとも偽物? クローン? 陰謀論???」
「人聞き悪いね。ホンモノだよ」
「本物の社長ですか? えっ、なんで?」
「そろそろ有給消化して欲しかっただけさね。タイミングに関しては気分」
「はぇー、社長の気まぐれがプラスの効果もたらしたの初めてっすわー」
「……割と一言多いよね。いつキチって」

「多分明日以降は通常運転に戻るからそこんとこよろしく」
 そう言い残し、社長は電話を切った。
 俺はスマホを机に叩きつけると、椅子の背もたれに寄りかかり、思い切り伸びをする。
「ぅぁぁぁぁ……」
 休み……休みか……18日ぶりだな……。何しようかな……とりあえず帰って……後のことは後で考えよ……。
 口から魂がドロップアウトする勢いで、うめき声とともに肺の空気を吐き出す。
 今日は! 今日だけは! 自分のために時間を使えるんだ……。ってか、それだけでこんなに幸せな気持ちになるとか、我ながら社畜極まりすぎだろ。
 オフィスで一人悟る。俺の人生はこの会社に食い潰されて終わっていくんだ……。悲しみのあまり、また机に突っ伏した。デスクはひんやり冷たくて気持ちいい。もう死ぬまでずっとこうしてたい。
「つらたん……」
 つぶやく声は部屋に虚しく響く。なんだか馬鹿らしくなって体を起こした。人生は続く。俺がそれに対しどう思おうと、今日は休みで明日以降は仕事なのだ。それなら今日という日を最大限有効に使おう。
 立ち上がり、床に落ちた書類を踏まないように、給湯室に向かう。冷蔵庫を開けると、中にはおびただしい量のオロナミンCが詰まっていた。2本手に取り台に置く。引き出しに入った使い捨てのマドラーと、ガムシロップ2個。それと冷蔵庫にマグネットでとめてある、DHCのサプリメント3種を2粒ずつ。水切りかごに伏せてあるコップをひとつ取り、用意したものを躊躇いなくすべてぶち込んだ。がしがしとマドラーで混ぜ、イッキに飲み干す。
 薬の味と舌にこびりつく甘さ、鼻を抜ける独特の匂いと口内を刺激する炭酸に、加速度的に目が冴えていく。
 俺は半ば肩で息をしながら、ぐっと口元を拭った。帰り道、歩きながら寝ないためのおまじないだ。この世の終わりみたいな味がするものの、色々試した結果これが一番効くのでたまにお世話になるのだ。
 なんていうかもう、俺半分くらい人間やめてるんじゃねぇかな……。
 そんな思いを胸にゴミとグラスを片付け、給湯室を出て落ちた書類を拾い集める。
 デスクの片付けはまた今度でいいや。拾った書類をデスクの上に丁寧に積み上げ、ため息をひとつ。
 床に置かれたカバンを手に取り、俺はオフィスのドアをくぐった。

 駅前の商店街は、出勤途中の会社員や、登校中の学生で賑わっている。
 コンビニコーヒーを片手に歩くOLや、腕時計を睨みつけ小走りで移動するサラリーマン。朝マックを求める人々がほどほどに列をなし、東の空に輝く太陽がまぶしい。
 素晴らしい春の午前中だ。さっきのおわおわドリンクのおかげで眠くはならないが、緩やかに吹き抜けるビル風がとても心地良い。
 そうだな、こんな素敵な日には……美味しいものをたらふく食べて、ゴロゴロしながら……ゲームしたいな……。

 幸せな休日のビジョンを思い浮かべ、一人口許を綻ばせた、その瞬間。
「助けてください!!」
 死ぬほど可愛い女の叫び声が耳に届く。次いで聞こえるのは、周囲の人々のどよめきだ。
 視線を移せば、10メートル程先、マックの隣の隣の隣に位置する喫茶ブラックの入口に、何者かの人影があった。
 人影は勢いよく駆け出すも、3歩目ですっ転んで「ギャッ」と声を上げ顔から地面に着地する。
 流石に心配になり……記事に出来そうな物事に吸い寄せられる職業病も相まって、俺はその何者かに駆け寄った。
 ……それに、たぶんこの声は……。
 2メートルほどの距離まで近づき、改めて見ると、みっともなく地面に倒れ伏し小さく唸るその人は、長い黒髪の少女だった。
 少女は白いブラウスに紺色のスカートを合わせたシンプルな服装をしており、恐らく肩にかかっていたのだろう。革製のトートバッグが近くに投げ出されている。
 鞄の中身も転んだ拍子にぶちまけてしまったらしく、見れば綾鷹のペットボトルが、クリアファイルから飛び出した書類らしき紙束の上で破裂していた。
 道行く人々は、彼女や荷物を横目に見ながら颯爽とそれぞれの目的地へ向かい歩いていく。時間が時間で、みんな急いでいるのだろう。誰も彼女へ手を貸すつもりは無いようだ。
 このままではさすがに可哀想なので、俺は努めて怪しく見えぬよう声をかけた。
「あのぉ、大丈夫ですか?」
 言葉と同時に手を差し伸べると、少女は俺の手をしっかりと掴み、地面に着いた反対の手を支えに上体を起こす。
「うっ……うっ……ありがとうございます……」
 すっとこちらを見る目はすこし伏し目がちだ。顔立ちからして間違いなく美人ではあるのだが、ゆるく下がった眉尻と薄い唇が、いかにも幸薄そうな雰囲気を醸し出している。
 どこかで見たような顔だとふと思ったが、それ以上に、彼女から聞こえた声の方が気になった。そう、例のめちゃくそかわいいエンジェルボイスだ。
 つまるところ会社に電話をかけてきたのは彼女ということになるが、電話越しに話したしっかりした口調の女性と、目の前にいる産まれたての子鹿の様な少女は正直あまり結びつかない。
 ……まあ、どちらにせよすることは変わらないか。
「いえいえ」と返事をしつつ、掴んだ手を引っ張り上げる。
「すみません……」
 少女は立ち上がると、申し訳なさげに頭を下げた。俺は掴んでいた手を離し、怪我の様子を確認する。……勿論、触ったり近づいたりせず見える範囲でだ。
 あれだけ派手にすっ転んだので顔面がグチャグチャになっていてもおかしくないと思っていたのだが、擦りむいた額、両腕両脚からとめどなく血が流れている以外は特に怪我などないように見える。
「あー、うん、思ったより大丈夫そうだね。痛いところとかある?」
 俺が尋ねると、少女は死んだ目をしながら、
「全身痛いです」
 と答えた。
「だろうね」
「はい。あ、でも大丈夫です。慣れてるんで」
 少女はそう言うと、流れ出る血もそのままにへらりと笑った。
 ……結構な大怪我に見えるのだが、不幸体質にとってはこのくらいよくあることなのだろうか。ともあれ怪我を放置するのは良くない。
「……慣れてる慣れてないは置いておいて、個人的には一回病院とか行っといた方がいいと思うよ」
「あー、まあ、そうですよねー」
 少女はスカートの砂埃を払いながら、ぼんやりとした口ぶりでそう返す。
 ……そういえば、彼女は何から逃げていたのだろう。首を傾げつつ喫茶ブラックの入口に目をやった、その時。
「おいおい、何逃げてんだ嬢ちゃん。話はまだ終わってねぇんだぜ?」
 低く太い声が響く。見れば身長185センチメートルはあろうかという大柄な男がのそのそとこちらに向かって歩み寄りつつあった。
 短髪、ごついネックレス、柄シャツ、胸ポケットにはECHOが1箱入っている。間違いなくやべー男だ。本能的に危機感を感じ、俺は少女を差し置いて3歩ほど後退する。
「ひ、人違いです……」
 少女はぶんぶんと首を横に振りながら、消え入りそうな声で言った。
 しかし、男はその返答に満足が行かないらしく、ダンッと右足で地面を蹴りつける。バッファローみたい……こわい……。
「なァにが人違いだって? 嬢ちゃんも見ただろォ? あの写真を。完ッ全に同じツラじゃねぇか」
「でもっ」
「でもじゃねェッ!」
 ダンダァンッ!! 今度は2回だ。少女は震えながら後ずさり始めた。周囲の人々は関わりたくないのかさっきより明確に距離を置き道の脇をぬけていく。
 俺は一目散に逃げ出したい気持ちを抑えながら、動いたら動いたでぶん殴られそうなのでじっとしていた。臆病? 卑怯? なんとでも言え!! そもそも今日は休日なんだ!! 俺は鋼鉄の意志でもってなんとしてでも帰らせてもらう!!
 そのまま、膠着状態が10秒ほど続く。
 一触即発の中、じりじりと迎撃範囲から外れるべく移動していた俺と少女だったが、男がそれを許すはずもなかった。
「何とか言え」と男が吠える。それを合図に、地面に放り出されたままの鞄に向かって駆け出す少女。えっ、逃げないの? 嘘でしょ?
 少女に向かってタックルを繰り出すバッファロー男。なけなしの良心で少女を庇うように間に入る俺。目前に迫るがっちりとした肩。
 えっ? 今からでも入れる保険があるんですか?
「ぐはぁ……」
 衝撃。浮遊感。打撃の痛み……。咄嗟に屈んだ少女の頭上を通り越し、俺は3メートルほど地面と水平に吹っ飛ばされる。着地した後更にゴロゴロと地面を転がり、最終的に反対側の店の壁に叩きつけられた。
 女に向かってこの威力でタックルすんなよ……もしほんとにあの子に当たってたら救急車案件だぞ……。
「だ、大丈夫ですか?」
 カバンと書類を抱えた少女が駆け寄ってくる。
「いやいやいやいやいいから逃げてってば危ないでしょ」
「くそっ、しくじったか……おい、兄ちゃん大丈夫か?」
 俺を攻撃する意図はなかったのか、男は頭を掻きながら俺に近づいてくると、そっと手を差し伸べてくれる。
えっ、案外良い奴なんちゃう?こいつ。
「えーっと……大丈夫じゃないですね」
 手を取り起き上がると、男と少女捲し立てるようにお礼と謝罪を繰り返した。あーもうめちゃくちゃだよ。
 満身創痍の状態で「いえ、大丈夫ですんでほんと、はい」みたいな事を繰り返し言ったあと、両手のジェスチャーでどうどうと2人をなだめ、気になっていたことを聞いてみる。
「あの、その写真の人って言うのは、本当にこの子なんですかね」
「違います、私は」
「嬢ちゃんは黙ってな。んで、写真? どう見てもこの嬢ちゃんだぜ。兄ちゃんも見てみるか?」
「あっ、じゃあ是非」
 バッファロー野郎は、ズボンのポケットからスマホを取り出すと、少し操作してこちらへ画面を見せる。

「……うわぁ」
「どーした、兄ちゃん」
「いや、ほんと、うんあの、とりあえずこの女の子は関係ないですね。逃がしてあげてください」
「ほんとですか……!」
「うん。俺、この人知ってるんだよね。言われてみれば、君によく似た顔をしてる」
「はぁ……。女を逃がすためのでまかせじゃねェだろうな?」
「違います違います。なんなら今電話して呼び出しますよ。よく知ってる人なんで」
「……ま、ならいいけどよ。結局この女は誰なんだィ? 兄ちゃん」
「そうですそうです。私、誰と間違われたんですか?」
「あー……」

 俺はなんとも言えない気持ちで四角い液晶を眺めていた。パッチリと開いた目に、釣り気味の眉、口元にふてぶてしい笑みを称え笑う女。
 ――それは間違いなく、俺の会社の社長、天田あまたさちその人だった。

 

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