『こいのはじまり』のノウェム視点前日譚。自宿の人達が喋ってるのが見たかっただけです。
――大切な娘を”返して”欲しい。
そんな手紙が届いたのが、つい先週のこと。
偶然居合わせたよしみで頭を抱える親父さんと共に宿帳を洗うと、つい昨日この宿に名を連ねた一人の少女が見つかった。
手紙によれば、隣街の貴族の娘らしい。
冒険好きのお転婆娘。
幼少の侯より脱走癖があり、屋敷近くの森や洞窟に一人で飛び込んだり、街の人々の悩みを聞いて解決する冒険者ごっこを繰り返している……。
兄、姉を持つ第三子とは言え、ご令嬢はご令嬢だ。親からすればその性質が悩みの種足り得るのは想像に難くない。
手触りの良い封筒に赤い蝋で封をされた、正に絵に描いたような”手紙”曰く。
ただ捕え鳥籠へ押し込むのも一つの手だが、こうも頻繁に屋敷を抜け出されては参ってしまう。
聞けば、令嬢はクルテル一行、特にノウェム・グリッジに熱を上げているらしい。
そこで、何とかそちらで本人を説得し、家に送り返せないか。
勿論、タダでとは言わない――
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「銀貨1000枚ですか。愛されてますね。」
いつの間に居たのか。背後から便箋の言の葉を覗き込み、くつくつと笑う黒髪の男。我らが一行のリーダーであるクルテル・リベルドースだ。
「言い方。」
「えー。だって、銀貨1000枚ですよ? 小娘ひとりの”納得”のために払うには、些か惜しい額じゃありませんか」
「それは、まあ、そうですが……」
手紙を頭から読み返すも、違和感は感じない。
「連絡は?」
「住所が有るので、手紙か……訪ねて来るならそれはそれで構わないんでしょう」
「受ける気があるなら前金を貰うか、一度面と向かって話してからの方が良いだろうね」
後払いで踏み倒されるのはいい加減やめにしてよ、と。
どこから聞いていたのか、2階からふらりと階段を降りて来たのは、我らが盗賊ニンフィア・ソルニウム。
「親父さーん、アイスココアちょうだい!」
等と呑気にカウンターへ注文しながら近づいてくる彼女の意図を言外に察し、手にした手紙を差し出す。
少女は小さな手でそれを受け取り、読む、というよりは見る、という視線で文字を撫ぜた。
「綺麗な字。……書き損じもないし、筆跡からして時間をかけて丁寧に書いてるんじゃないかな。書き手はかなり落ち着いてる。つまり、」
語りを止め、席につきながらちらりと向けられた視線へ頷くと、少女は肩を竦めて続ける。
「手紙の通り脱走され慣れてるのか、嘘か、だね」
「成程」
「仮に『脱走され慣れてる』方だったとして。逃げるところまではあえて許容してるのか、お嬢様の方が脱走の名人なのか。無理やりとっ捕まえるとしても油断は出来ないよ」
語る少女の前に、親父さんがアイスココアを置いた。少女はそれを煽り、ごくりと喉を鳴らしたあとで、長い銀髪を邪魔そうにかき上げながら、紙に顔を近付ける。
いつもは邪魔にならないようお下げの三つ編みに纏めているのだが、休日なので結わずに置いているらしい。
「上質な紙と、……これ、カエルレウムのインクじゃない? 知ってる匂いがする」
「カエルレウムですか? あそこの品はこの辺りでは流通して居ないはずですが」
「ふぅん。……凝ってるね」
「あとは流石にきみたちも感じてるだろうこの香りだけど……質のいいハーブだね。ポプリか何かと一緒にレターセットを保管してるんだと思う」
そこまで話すと、少女は便箋を畳み、僕へと返してきた。
「なんにせよ、相当裕福で、手紙を日常的に書くような……ついでに言うと、かなり品の良い人が書いた手紙だね」
僕は差し出された便箋を受け取り、封筒へ仕舞う。
「少なくとも、送り主の身分について嘘はないんじゃない?」
しらないけど。そう加え、ニンフィアは座ったままぐっと伸びをした。
「ありがとうございます」
「これ、ノウェムの奢りね?」
少女はふふんと笑い、目の前の、半分ほどココアが残るカップを指で弾く。
弾かれた銀色のカップは、ピンと音をたて傾いた後、自重で元の角度へ戻ろうとし、反動でコトコトと揺れた。
小銭数枚を手渡すと、ニンフィアは「まいど~」と笑い、受け取った銅貨をくるくると指の間で踊らせてからぱちんと音を立てカウンターに置いて見せる。相変わらずの器用さだ。
「あ、言い忘れてましたけど、その紋章なら覚えがあります」
背後に居たはずの黒髪の男は、いつの間にやら少女とは反対側の僕の隣席についている。
男はあげじゃがを頬張りながら封蝋を指差した。
「記憶が確かなら、悪い人じゃありませんよ」
「それを先に言ってください!」
余計な出費が……と、ココア片手にクルテルのあげじゃがを盗み食いするクォーターエルフを見やる。
「いいじゃん。大魔術師ノウェム様からしてみればはした金でしょ?」
「それを言うなら、大泥棒ニンフィア様にとってもはした金じゃないですか」
「たとえはした金で買える金額でもタダで飲み食いできるものほど美味しいものはないんだよ」
「おい、お前たち。あんまり店の売り物をはした金はした金言うんじゃない」
「すみませんね、親父さん。うちの子達が失礼を」
「誰がいつクルテルん家の子になったって?」
「父親面しないでください!!」
「はは。」
そんなこんなであれこれ言い合っていると、部屋の掃除を終えたフランソワーズや買い物に出かけていたルフナとベルガモットが帰ってきて、事態は混沌を極めていく。
それも一頻り落ち着いて、各々好きに休日を過ごすべく解散した直後、「ちょっと」とクルテルに呼び止められた。
「なんですか?」
「結局、手紙の依頼は受けるんですか?」
こちらの予定にも関わってきますから、一応。と加えたリーダーへ、手紙を手にした時点で決めていた回答を返す。
「……受け……は、しますよ。どんな形で進めるかは、少し考えます」
「じゃ、そちらが落ち着くまで、一行として受けるのは、ノウェム抜きでこなせそうな依頼に絞りますね」
「お願いします」
「いえいえ。」
そんな短いやり取りの後、クルテルは少し離れた場所で待機していたフランソワーズを伴ってどこかへと出かけていく。
休日とはいえどうせすることもないのだし、一先ず依頼主に会いに行ってみようか。
この時間帯、隣街への乗合馬車は半日に1本発着していた筈だ。となれば次の便は1時間後。
僕はその馬車に乗ることを決め、親父さんに今晩外泊することを伝えたあと、荷物をまとめるべく、自室のある2階へ向かった。
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